56年前の6/15は大阪大空襲の日である
2001年6月15日今日は、大阪大空襲の日。
同時に私の祖母の命日でもあり、それと同時に毎年私の懺悔の日でもあるのだ。
昔、私がまだ小学生だった頃、母に何気なく「うちはどうしておばあちゃんが居ないの?友達にはみんな居るのに。何で何で?おばあちゃんてどんな人なの?」と聞いたことがある。
私の母は子どもの質問にいい加減な答えをするような人ではなかったが、その時だけは何も言わず黙って私に背を向けてしまった。私は母に無視されたようで哀しい思いをした事を昨日の事のように覚えている。
それ以来、祖母の話は意識して避けるようにしてきた。何と私は30歳になるまで祖母の名前と空襲で亡くなったらしい(命日不明だった)としか知らなかったのである。
先日(といってももう一ヶ月以上前になるが)母の日だった。テレビでは母の日特集が流され、出演者が自分の母親の事を語るという事が行われていた。それを母と二人で見ていたのだが、突然母が言った。
「私には何も無い」と。
何の事かと思った。不思議に思ってる私に繰り返すように言った。
「私にはお母さんの思い出は何も無いから」
母は8歳の時に母親を亡くし、顔も覚えていないそうである。写真すらない。
私はその時、小学生だったあの時の記憶が突然と蘇った。そして母がどうして私に黙って背を向けたのか、その後もその話題に触れる事をためらわせたのかを知った。
・・・母には何も無かったのである。
娘に語るべき思い出を持たない母はどんな思いで背を向けたのだろう。
それを考えると子どもだったとはいえ、自分の浅はかさに母に申し訳なくて一杯になった。
私は殆ど泣く事はないが、その時は自分の部屋で「ごめんなさい」とひとり泣いた。
そして今日、祖母の命日。
母はどんな思いで迎えたのだろう。私は母の事を思うたび小学生だったあの日の事を思い出し、懺悔の気持ちに駆られてどうしようもない。
この事は一生私の中から消えることは無いだろうと思う。苦しいがこれが私の心の枷だろう。
同時に私の祖母の命日でもあり、それと同時に毎年私の懺悔の日でもあるのだ。
昔、私がまだ小学生だった頃、母に何気なく「うちはどうしておばあちゃんが居ないの?友達にはみんな居るのに。何で何で?おばあちゃんてどんな人なの?」と聞いたことがある。
私の母は子どもの質問にいい加減な答えをするような人ではなかったが、その時だけは何も言わず黙って私に背を向けてしまった。私は母に無視されたようで哀しい思いをした事を昨日の事のように覚えている。
それ以来、祖母の話は意識して避けるようにしてきた。何と私は30歳になるまで祖母の名前と空襲で亡くなったらしい(命日不明だった)としか知らなかったのである。
先日(といってももう一ヶ月以上前になるが)母の日だった。テレビでは母の日特集が流され、出演者が自分の母親の事を語るという事が行われていた。それを母と二人で見ていたのだが、突然母が言った。
「私には何も無い」と。
何の事かと思った。不思議に思ってる私に繰り返すように言った。
「私にはお母さんの思い出は何も無いから」
母は8歳の時に母親を亡くし、顔も覚えていないそうである。写真すらない。
私はその時、小学生だったあの時の記憶が突然と蘇った。そして母がどうして私に黙って背を向けたのか、その後もその話題に触れる事をためらわせたのかを知った。
・・・母には何も無かったのである。
娘に語るべき思い出を持たない母はどんな思いで背を向けたのだろう。
それを考えると子どもだったとはいえ、自分の浅はかさに母に申し訳なくて一杯になった。
私は殆ど泣く事はないが、その時は自分の部屋で「ごめんなさい」とひとり泣いた。
そして今日、祖母の命日。
母はどんな思いで迎えたのだろう。私は母の事を思うたび小学生だったあの日の事を思い出し、懺悔の気持ちに駆られてどうしようもない。
この事は一生私の中から消えることは無いだろうと思う。苦しいがこれが私の心の枷だろう。
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