集中治療室にいる人のお見舞いに行きました。
部屋に入る前に白衣と帽子を着せられて、お手手はきちんと消毒します。

部屋に入ると思っていたより大分広い。
見渡す限り、機械とベッドで埋まっています。人間は看護婦さんの姿しか見受けられません。
患者さん達はベッドと一体化してしまっているように思えます。

…静か。
人の気配がない。
この部屋にいる人間を総計したら、結構な数になるだろうに、そんな事も感じさせないほど静かでした。

で、当人のベッドに案内してもらいました。
…見た瞬間、息を飲む。
管と機械と点滴に埋もれている人。…看護婦さん、この人は誰ですか?
面影が有るけど、何か痩せて顔が違うんですけど。

ちゃんと意識はあるらしく、私の事もわかるよう。
「元気になったら、また…」と話し掛ける。

「嘘つき」
私は心の中でそう自分に言っていた。
…嘘じゃん。あと持って一ヶ月だって言われてるじゃない、私の嘘つき。
内臓の半分を手術で取った人間が生きていけるはずが無い。
まだ意識があるうちに…って私もお見舞いに来たはずなのに。
私の大嘘つき―――…。

嘘をつくシチュエーションは色々あるけれど、絶望的な嘘は良心の呵責を通り越して、ただただ悲しい。
そして、その悲しさの裏側に優しさも同じ数だけ一緒にあるような気がしてなりません。

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