時間は越えられる

2002年10月12日
先日大阪の親戚の家へ行った際、一枚の写真が不自然な大きさの額に入れられて壁に掛けられているのが目に留まった。

「不自然」と言ったのは額の中の写真があまりにも小さかった為である。
顔の判別すら難しい。
そしてその写真こそ、たった一枚この世に残っている祖母の写真だという事を、その時初めて教えられた。

以前にも書いた通り、私の祖母は大阪大空襲で亡くなっており、私の母にいたっては自分の母親の記憶すらおぼろげでハッキリとは思い出せないらしい。
私としても、二十歳の時に初めて名前を教えられただけで、顔もどのような人物かも教えてはもらえなかった。

二人とも辛かったんだろうと思う。
母は娘に語る記憶もほとんど無い。伯父も話せば思い出してしまう。

母も伯父も写真の事ではガックリきていた。
そこで私は「引き伸ばしてあげる」とその写真を預かって帰ってきた。
確か「ネガが無くても引き伸ばし出来る」と聞いた事があったからだ。

「ピクトロプリント」という手法だったと思うが、ネットでそれを扱っているお店を探して写真を持ち込んでみた。
店のおじさん、唸る。
…元々の写真が傷だらけでボケてるので、大きくしても綺麗にはならない。
かといって、小さく引き伸ばすのも…。

取り合えず大小2種類の大きさを頼み、後日受け取りに行った。
家に持って帰るまで待ちきれず、駅のスタバに入って写真を出してみる。
見た瞬間、私は「あっ」と言った。
母にソックリだったから。

家に帰って母に見せた。
彼女が私に向かって開口一番に言ったのは「アンタに似てるねえ」…。

写真を見た母は、少しずつ遠い昔の事を思い出したようだった。
それでも微笑んでいる、その瞬間の記憶しか無いそうだけれども。
でも考えてみれば、笑顔だけの記憶ってのも幸せかもしれないなあ。

写真を伯父にも送った。
とても喜んで頂けたようで良かったと思う。
もっとも、私が自力で引き伸ばしたと思っているらしいが、残念ながら私にそんな腕前はありましぇんですぅ。(^^;)

よく他人から私と母は似ていると言われるのだが、(親子なんだから当たり前じゃ)当人達二人は全くそんな事は思っていなかった。
初めてその言葉の真意がわかったような気がする。

時間は越えられると思う。
ただし、それは当事者全員がそう願った時に叶えられる一種の魔法のようなものだと思うが。
正確に言うと「時間」ではなくて「想い」が時代を超えてるんだけど。

今回の事で初めて祖母は私の中で「過去に存在していた人間」となった。

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