去年の今日、車にはね飛ばされて怪我をした。
もう一年も経つんだなあ。早い早い。
あの時、誰かが呼んでくれた救急車で病院に運ばれたんだけど、
救急担当の先生は、私が思ったより大した怪我で無かったことに
ご不満だったらしく。

チラと見ただけで「湿布出しておきますよ、それでいいですよね」と
こちらのイエスノーも聞かずに言い切った。
私は「ええ、それで結構です」と答え、話が終わるとその足で
(車椅子に乗ってたからその椅子で)総合受付に行き、
「もう一度、他の先生に診察して欲しい」とお願いした。

かなり待たされたが、結果として私の右足にはギプスが巻かれ松葉杖、
そして普通の杖、リハビリと続き、去年の前半はハンディキャップを
背負って生活することとなった。
ちなみに頭も打って腫れ上がったのだが、これは脳神経外科の先生に
大丈夫ですよと説明してもらい、後遺症も今のところ残っていない。

最初の医者はパッと見で私を見限った。
それを察知した私もそれにしがみつかず、さっさとその医者を見限った。
これって結構大事。すごく大事。
医者は一人だけじゃない。そしてすべての医者が有能なわけではない。
医者は神ではない。

普通の杖をつく生活を数ヶ月続けたのだが、障害者が街でどんな風に
思われてるか、どう生きにくいのか、どんな本を読むより勉強になった。
バリアフリーと声高に言ってる企業も案外冷たいんだよ。
というより、健常者の立場でしか障害者のことを考えないから
使えない施設が出てくるんだろうなあと思ったりする。

で、笑い話。
高松空港で飛行機に乗る時に検査場のおねーちゃんが
「杖をお預かりしてよろしいですか?」とさっさと奪い取ろうとした。
…あのう、杖がないと歩けないんですけど。
それに気がついた他の人が代わりの杖を持ってきてくれたんだけど、
このおねーちゃんだけが特別な感覚を持ってたわけじゃないと思う。

各人の意識にまだまだ浸透していないバリアフリーって単語は、
企業の免罪符の呪文のようだね。
もちろん、企業だけじゃなく私たち個人も。
 
 
 
 
 
 
 

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